目を覚ますと、暗くて冷たい場所にいた。
どれだけ目を凝らしても、そこには誰の姿もない。

ポケットに、小さなライターがあった。
火をともすと、わずかな光が闇を切り裂く。
その光に浮かび上がったのは──天井から吊るされた“足”。

遠くで、何かの音がする。
かすかに聞こえる、食べられる声。
潰される音。
それらは悲鳴ではなく、ただの“作業音”に聞こえた。

そう、これは悪夢なんかじゃない。
これは、“現実”なんだ。
少女は、言葉を失ったまま歩きはじめる。

ライター/ねりけし

◇ 本記事の構成 ◇
・リトルナイトメアとは? 北欧発のダークファンタジーゲーム
・『リトルナイトメア』に潜む“3つの恐怖の輪郭”
・クラシック・カートゥーンの影に潜む、現実の子ども問題

リトルナイトメアとは? 北欧発のダークファンタジーゲーム


『リトルナイトメア』は、北欧の Tarsier Studios が手がけたサスペンスアドベンチャー。
 
プレイヤーは、黄色いレインコートの少女「シックス」となり、“胃袋”の異名をもつ巨大船舶〈モウ〉からの脱出を試みる。

幼いシックスには、武器も、力もない。

ただ走り、しゃがみ、物陰に身を潜める──。
この世界で彼女に許されているのは、それだけ。

けれど、好奇心旺盛なシックス。

彼女は、木箱を押して道を作り、大きなタンスを上って通気口に忍び込むなど、わずかな工夫を重ね、闇の奥へと進んでいく。

グロテスクで巨大な大人たちから逃れるには、息をひそめ、足音を殺し、暗闇に紛れるしかない。
一歩でも判断を誤れば、その小さな体は一瞬で捕まってしまい……そして捕食される。

この船に、言葉はない。あるのは化け物の唸り声だけ。

船内に散らばる奇妙なオブジェクトや、意味深な環境演出。
それらが語られぬ物語を、静かに浮かび上がらせていく。

操作はシンプル。しかしプレイヤーの感情をかき乱す。
それが、このゲームのもっとも大きな仕掛けだ。

『リトルナイトメア』に潜む“3つの恐怖の輪郭”


子ども視点がもたらす不安


ホラーゲームの多くは、明確な恐怖の仕掛けを用意する。
『バイオハザード』が銃火器による抵抗と血肉の描写で恐怖を与え、
『サイレントヒル』が怪物と心理的トラウマを重ね合わせるように。

だが『リトルナイトメア』には、それらに匹敵する直接的な恐怖描写はない。
血も悲鳴もほとんどないのに、なぜプレイヤーは不安を抱くのか。
その価値は、「子ども視点」に徹底し、強調した点にある。

操作するシックスは、小さな少女。
家具一つが壁となり、大人の足音が地響きに変わる。
ここで描かれるのは怪物の恐ろしさではなく、
子どもが世界そのものを巨大で危険なものとして体験する感覚だ。

恐怖は「敵の姿」ではなく、
「自分がどれほど無力か」という状況に宿る。
敵を撃退することも、真相を理解することもできない。
ただ闇に隠れ、飢えをこらえ、無言で歩き続けるしかない。

大人になった私たちが忘れてしまった、
世界の大きさと理不尽さ。
それを呼び覚ますことで、
リトルナイトメアは血や暴力を超えた不安の深度を獲得している。

想像させる余白の恐怖


『リトルナイトメア』の世界は、徹底して語られることはない。
目的も、敵の正体も、少女シックスがなぜそこにいるのかすら明かされない。
説明を拒むその静けさが、プレイヤーの想像を強制してくる。

船内には、意味深な痕跡が散らばっている。
空になった檻、血痕の残る床、何かを隠すように置かれた布。
それらはプレイヤーの心に問いを増やしていく。

「子どもたちはどこへ消えたのか」
「大人たちは何を食べているのか」
「シックスが空腹に負けて口にしたものは──」

直接描かれることはない。
だが、あなたが想像した瞬間、その恐怖は完成される。
ここにあるのは映像的な恐怖ではなく、
「見ていないものを頭の中で作ってしまう怖さ」だ。

ジャンプスケアのように一瞬で終わらず、
クリア後もふとした拍子に蘇るその余韻。
それこそが、リトルナイトメアが残す“悪夢の後味”である。

異常が“普通”として存在する恐怖


『リトルナイトメア』に登場する大人たちは、いずれも歪んでいる。
太りすぎて床を這い、長すぎる腕で棚を探り、異様な顔で肉をむさぼる。
だが彼らにとって、それは異常ではなく「日常」にすぎない。

食卓を囲む客たちは、誰一人として違和感を示さない。
子どもを捕らえ、肉のように扱うことさえ、当然の行為として続けられている。
そこに倫理も善悪も存在しない。
ただ静かに繰り返される“習慣”として、恐怖は成立するのだ。

プレイヤーにとっては狂気でしかない光景が、
登場人物にとっては「いつものこと」
このギャップこそが、不気味さを決定づける。

──もしかすると、これは私たちが普段、家畜に与えている恐怖なのかもしれない。
捕食する側は、当たり前のように“それ”を行う。
だが、捕食される側にとっては、逃げ場のない現実だ。

『リトルナイトメア』が映し出すのは、
消費する側の無自覚と、消費される側の絶望
プレイヤーはその「消費される側の恐怖」を、
小さな少女の視点を通じて追体験することになる。

クラシック・カートゥーンの影に潜む、現実の子ども問題


『リトルナイトメア』をプレイして感じたのは、ホラー映画を観た恐怖よりも、クラシック・カートゥーンを思わせる奇妙な感覚だった。
特に顕著なのが、大勢の大人たちからシックスが逃げ惑う場面だ。
グロテスクに歪んだ大人たちでありながら、その動きはどこかコミカルで、まるでカートゥーンのワンシーンのように映る。

そして待ち受けるのは、今後を想像せずにはいられない衝撃のラスト。
詳しくは語れないが、その瞬間こそが本作の悪夢を決定づけるだろう。

小さなシックスが、ただ生き延びるために身を潜め、飢えに耐える姿。
それは決して絵空事ではない。
今この瞬間も、世界には数百万の子どもたちが、
貧困や戦争、家庭の無関心に押しつぶされ、
声をあげることもなく過ごしている。

守られるべき存在が、誰にも見られず、誰にも聞かれず、
ただ“消費される側”として扱われる現実。
そして、いずれは“消費する側”へと移っていく子どもたち。

『リトルナイトメア』の悪夢は、ゲームの中に閉じ込められた幻想ではない。
現実の子どもたちが置かれた状況を、私たちに突きつける声なのかもしれない。

引用・参考情報について
本記事で使用したスクリーンショットおよび情報は、以下に基づいています。

  • スクリーンショット:『リトルナイトメア』BANDAI NAMCO Entertainment Europe公式プレスキットより取得
  • ゲーム仕様・特徴『リトルナイトメア』日本公式サイト(バンダイナムコエンターテインメント運営)を参照

©Tarsier Studios ©BANDAI NAMCO Entertainment Europe ©Playdigious
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